人が人と出会うときって、偶然なのか必然なのか…私にはわかりません。
そしてそれは、死んでからしかわからないのかもしれません。
でも、実はそんなことはどうでもよくて…私はこの人が大好きだと思ったら、自分の思い通りにさせようと操作することだけはやめようと思っているし…バツ1だからこその私の経験であり、学びなのかもしれません。
恋が愛に変わり…そして「この人と生きていこうと思うとき」、それは最終的には「ずっと優しさを持ち続けられるか」というシンプルなことだと気が付いたんです。
そしてもう一つ、優しくなれるというのは…最終的には、その人へだけではなく森羅万象すべてのものに優しくなれる事なんだろうなって…。人間には、愚かな部分があり、考え方の相違がある人もいたり、自分の物差しの中ではどうしても許せない行動の人もいるかもしれません。
ただ「一人一人がその人のかけがえのないたった1度の人生を歩いているのだ。」そう思えるようになると…なぜか腹が立つことがぐっと減ります。
腹が立つという行為は、すごく損な行動ですよね。
疲れるし、ストレスもかかるし…
私とパートナーは、そういう疲れることや揉め事が本当に嫌い。そこの考え方は本当に一緒でよかった。そもそもが「違う人間である」という事がわかっているから、自分の相手にして欲しいことなんてほとんど無いし…お互いがどこかでしっかりと自立していて、それぞれが「自分でできる」ことをすれば良いと思っているからなんです。一人で生きていける者同士が一緒にいるので、相手に対する行き過ぎた要求がないのです。
でも実は…パートナーは私と「シュノーケリング」や「スキー」、「ダイビング」を最初は一緒にしたかったみたいです。でも、私はどれも興味がないんです。スキーは一応北海道出身なので、学校の授業でスキーがあったくらいですからボーゲンくらいはできるし(笑)シュノーケリングも完全装備であればできます。でも…楽しくないんです、ちっとも。
だからそれは「私はお付き合いできないけれど、自由に行ってきてね^^」と言っています。旅の最中も私は部屋でのんびり、パートナーは博物館へ…という事もあります。
夫婦問題のお悩みを聞いていると、「思いやりがない」という言葉をよく耳にします。でも、どうなんでしょう?思いやりって、自分の思い通りの反応が帰ってきていないだけなのかもしれません。「こういう言葉をかけてほしかった」という思いと、相手の「そっとしておいてあげよう」という思いやりのズレがあることもあります。
それでも女性は言葉にしてほしい生き物だから…だからこそ「違う生き物である」という理解がすごく大切になるんです。違うから面白いんですよ^^
「喧嘩するほど仲がいい」と言いますが、それには私は首をかしげます。確かに掛け合い漫才のように喧嘩をしている面白い夫婦もいますが(関西とシチリア限定かも)、喧嘩って「あの時言われたこと」「いつもヒステリックになる」等々…お互いの要求と文句を言い合い、最終的に傷つけ合って…
私はそれがいいことのように感じられないんです。
私は言いたいことがあるときは(ほとんどないのですが)、カフェで美味しい珈琲を飲んでいるときとかに言います。でも、本当に文句も不満もないんです。それは私や彼が完璧なんかではなくて「完璧じゃないことを知っている」からだと思うんです。
夫婦って普通「お互い様」が8割、残り2割は「それはご主人…ひどすぎるね」という場合もあります。
私は自分の欠点を山ほど知っているので「ありがとう」しかありません。
私の欠点を見事に「そこが良いところでもあり、面白いところでもあるよね」と変換してくれる人。
私たちは互いにバツ1同士…沢山の失敗を乗り越えた結果の今なのだと思うのです^^
どんな経験も、無駄などありません。
セレナ
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