そして、2021年も残り1週間となりました。
皆さん、2021年、精一杯「愛しましたか?」。
私は年齢を重ねるたびに思うんです。どれだけ自分が愛したかのほうが大切なのだと。
だって、相手の愛情は秤に乗せることはできないし…
でも…わかるのは、自分がどれだけその人のことを愛したか。
これだけはわかるんです。だって、自分のことだから…
私はそれだけは胸を張って「今年も沢山愛したなぁ」と言えます!
真っ直ぐ、揺るぎなく、何があっても、私は愛したとそれだけで自分の1年はパーフェクトです。
誰にだっていいんです。
子供に、恋人に、旦那様に、両親に、友達に…嫌いな人がいても良くて(私だっています!笑)
でも、重要なことは嫌いな人に目を向けるんじゃなくて
愛してる人に自分なりにどれだけ愛を向けたか…もう、それだけなんですよ…私は^^
昨日…私と姉のことを本当に可愛がってくれていた札幌の親戚の叔母が天国へと逝きました。
年齢を重ねると、沢山の「死」と出会うことでもあります。
大阪から手を合わせることしかできないけれど、でもここで書きながら私は涙が止まらないのだけれど…沢山愛してくれた人は、愛された人間にとって「ありがとう」しかないんです。私は子供だったから「愛される」ことが当たり前だと思っていたけれど、とても偉大なことだったんですね…
沢山愛した人の凄さってあるんです。
だから…私は生きているうちは会いたい人には何がなんでも会いたくて…そして愛することに遠慮なんてしないでおこうって思うんです。
死に際に「あー、十分愛したな」って思いたいんです。
叔母さんが亡くなっても、私はちゃんとお昼を食べて、そして夕方は美容院に行ってそしてその帰りに息子と忘年会をして…そういうことが命なんです。
それが当たり前のことだと分かったのは、インドのガンジス河でのことでした。
遺灰を流すその横で、洗濯をしていたり、シャンプーをしている人がいるんです。
生の営む場所であると同時に終焉を迎えるそんな場所でもありました。
その風景を見た時、生と死が一本の線になっていることを知ったんです。納得したんですね。腑に落ちたのです。
2022年も全力で「愛する」つもりでいます。
「誰も愛してくれない。孤独だ。」という人は自分の内側に向かいすぎてるんです。
外側に目を向けてみてください。
そこには生の営みがあり、あなたが「愛すべき」人がいるはずなのだから…
叔母さん、沢山愛してくれてありがとう!私はまだまだそちらに行く予定はないですが…大好きなグレープフルーツを沢山食べてくださいね^^
セレナ